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Scene Tamariva !

【主将・西田剛】北風の只中に、白雪踏んで・・・

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「北風の只中に、白雪踏んで・・・」

言わずと知れた早稲田大学ラグビー蹴球部部歌「北風」のワンフレーズである。

2013年1月14日(月)
成人の日の首都圏は大雪に見舞われた。深夜に振り始めた雨は明け方に雪に変わった。
この日のタマリバの練習は上井草グランド。
練習開始の13:00には上井草グランドは一面銀世界となっていた。




前日の2013年1月13日(日)
夕闇迫る熊谷ラグビー場。

神奈川タマリバクラブは六甲ファイティングブルに敗れた。
クラブに日本選手権枠が与えられてから初めて二年連続で出場権を逃した。



ノーサイドのホイッスルと同時にタマリバメンバーはそれぞれの想いが胸にこみ上げてきた。
ほとんどのメンバーが泣いている。それだけこのクラブに一年間をかけてきたのだ。
当時主将の飛野はベンチ前の挨拶を終えると共に熊谷の枯草に泣き崩れた。
これまでタマリバを支えてきた主将経験者の井戸と中村凸が駆け寄り、声をかける。
それでもその嗚咽と涙は止まらない。

その光景を
「見れなかった」と語る者がいた。

その男の名は西田剛。現タマリバクラブ主将である。
どこかに次は自分がその立場になるのかもしれないという自覚があったのかもしれない。

西田はこの六甲戦についてこんな話をしている。

「正直、不安はあったが負けると思っていなかったし、負ける準備ができていなかった。」

ファンクションを終え、すっかり暗くなった熊谷ラグビー場のメインスタンド前に
タマリバの幹部陣が集合した。
最後の全体集合を終えたばかりの前キャプテンの飛野が絞り出すように切り出す。

「次のキャプテンは西田にやってもらいたい」

数十秒の沈黙が続いた。
熊谷の冷たい風が吹き付ける。誰も言葉を発さない。しかしそこにいた全員が暗黙の了解を示していた。
西田はこんなことを考えていた。

「ここまで続いてきたこのタマリバをなんとかしたい」

帰りの電車で、西田は早稲田大学の後輩に次々と電話をかけていた。
タマリバという組織を背負っていけるか、正直不安はあった。
しかしこのチームを引っ張っていけるのは自分しかいない。
西田はこの瞬間から次のシーズンに向けて動き始めた。誰よりも早く動き始めた。



話を戻そう。雪の上井草である。
学生時代の苦楽を誰よりも見てきた上井草グランドである。
偉大な先輩たちの汗と涙がしみこんだ「聖地上井草」。
その上井草が何年かに一度見せる雪化粧。

西田はこのグランドに立った瞬間うまく自分をコントロールできたのだという。
タマリバというよりもラグビーに向き合えたのだ。



大雪の中、西武新宿線は辛うじて動いている。
13:00の練習開始の10分前。徐々に人が集まり始めた。
ほとんど来ないんじゃないかと思っていた。それでも本物のラグビー馬鹿達が集まってきた。

前日の試合で足を負傷し歩くのもままならない羽生。
登録外メンバーの為、前日の試合には参加できずスタンドから声援を送った近藤。
懸命に選手をサポートしてくれた、マネージャー、トレーナー陣。

雪の中、トレーナー含め全員でタッチフットをした。15名弱で約二時間。
本当なら1週間後に迫った全国大会決勝の為の練習になるはずだった。
雪で思うように動くことができない。スパイクの歯はほぼ役に立たなかった。

「やっぱりラグビー楽しい」
どこからともなくそんな声が聞こえてきた。

・・・覚悟は決まった。
俺がこのチームを立て直す。もう一度最高の感動を味わいにいく。


兄(NEC/西田創)の影響で福岡・城南中でラグビーを始めた西田剛。
ラグビースクールが盛んな福岡では珍しい中学ラグビー出身者である。

その後、東福岡→早稲田大学と進んだ。
ラグビーエリートか?そう感じるかもしれない。しかし西田は違う。


東福岡高校時代、九州選抜の2人のSHの陰に隠れ、出番はほとんどなかった。
だが努力を怠らない者にチャンスはめぐってくる。
花園予選決勝、無名の3本目のSHがスタメンに名を連ねた。
チームは無事優勝し、全国大会出場を決める。
しかし、花園でその男の名前がアナウンスされることは一度もなかった。

ラグビー推薦ではなく指定校推薦で早稲田大学政治経済学部に入学。
Eチームからのスタートだった。
同期の高校JAPAN達は早々にアカクロを身にまといAチームで活躍していた。

名SHにして名将、宿沢広朗は言った。

「努力は運を支配する」

4年秋の早慶戦。レギュラーのSHが脳震盪で離脱。
早明戦にはまたもや無名のSHの名前があった。
テレビのアナウンサーは言った。この人も東福岡出身のラグビーエリートですね。

違う。

努力を重ねてきた者のみに与えられるチャンスを西田は掴んだのである。

いつしかアカクロのジャージを身にまとうことが当たり前になっていた。
大学選手権準決勝では国立でトライをあげる。
このまま大学選手権も優勝し、、、と物語はうまくいかない。
決勝では帝京大学の前に悔し涙を飲む。




ここで西田のラグビー人生は終わりを告げるのか。
就職先は三井住友銀行。あの宿沢広朗の後を追っているかのようだ。
事実、トップリーグからの誘いもあったが西田はビジネスマンとして生きる道を選択した。

三井住友銀行入行。

研修中の3週間。
初任給を手にし、同期が集まり楽しく飲み集まる中、西田の姿はグランドにあった。
タマリバクラブの練習に参加していたのである。

しかし、ここでも楕円球の神様は試練を与える。
配属先は浜松。タマリバへの足は遠ざかった。

半年がたち、研修で東京に来た際、西田はタマリバの公式戦を見た。
同じく早稲田同期の清登が躍動していた。

「ラグビーがしたい。」
そこから毎週末、浜松-東京を往復する日々が始まった。

もう一度最高の感動を味わいにいこう。

そこから西田がタマリバの中心選手となるのに時間はかからなかった。









北風の部歌はこう続く。
「球蹴れば、奮い立つ・・・」







雪の上井草、
様々な思いを込め奮い立った西田のタマリバ主将としての一歩が動き始めた瞬間だった。